マウスガードサポート選手のご紹介①

当院では大学生から社会人まで、様々なスポーツで活躍する選手に対してマウスガードをサポートしております。

現在サポート選手の1人である、「加藤選手」について、いくつか質問いたしましたので、ご紹介いたします。

加藤選手について、自己紹介をお願いします

1997年生まれの27歳。183cm/96kg。

明治大学卒業後、岩谷産業株式会社入社し、4年間の勤務後、退社いたしました。


大学でラクロスに出会い、現在はGRIZZLIESでプレーしています。(ラクロス日本代表としてW杯に出場。)

2023年にボブスレーと出会い、秋~冬季はボブスレー日本代表として海外遠征にも行きました。

二種目を並行して取り組んでおり、アスリートとしての目標は夏冬オリンピック(2026年ミラノ五輪&2028年ロサンゼルス五輪)への出場とメダル獲得いたしました。

ラクロスとボブスレーについてどういう競技か教えてください

<ラクロス>

棒の先に網のついたスティック(クロス)を使い、テニスボール大の硬質ゴム製のボールを、180センチ四方のゴールまで運んで得点を競う団体球技です。

シュート・スピードが時には時速150kmを超えることから、<地上最速の格闘球技>と呼ばれています。

<ボブスレー>

冬季オリンピック種目の一つ。独特な形状と機構を持つ専用のそりに乗って、氷が張った約1400mのコースを滑走してタイムを競う競技です。

最高速度は130km/h – 140km/hに達し、<氷上のF1>と呼ばれる。30~40mを押しながら走り助走をつけ、速やかに乗り込み、滑走します。オリンピックでは2人乗りと4人乗りの2種類ございます。

元々どんなスポーツをしていましたか?また、そこから現在のラクロス・ボブスレーに転身した理由は何ですか?

小学校から高校まで野球をやっていました。高校野球部ではレギュラーではなく、悔しい思いをしました。

やりきれない気持ちを晴らすため、大学でラクロスを始めました。日本ではカレッジスポーツとして人気で、大学から始める人が多いためスタートラインが同じであること、当時の先輩方のプレー姿がかっこよかったことが入部の決め手でした。

体重の割に足が速い特技を他の種目でも生かせないかと考えたのがボブスレーを知るきっかけでした。

間口が広く、陸上やアメフトなど二刀流で取り組む選手がたくさんいることがチャレンジを後押しさせたと思います。

歯医者に通おうと思ったきっかけなどございますか?

下高井戸パール歯科クリニック・世田谷との出会いのきっかけはラクロス界のレジェンド佐保田さんの紹介でした。

大原先生に繋いで頂きお話すると、部員のマウスガードをサポートして頂けるとのことでした。
結果、全部員がマウスガードを作成してもらい、チームに貢献していただきました。

今でも明治大学ラクロス部の部員のマウスガード作成を行っていただけていることは、感謝してもしきれません。

個人的には部活を引退した今でもクリーニングやマウスガードを作成いただいています。

下高井戸パール歯科クリニック・世田谷に通ってみて、「ここがよかった」と感じることがありましたら、教えてください。

症状に対して真摯に向き合って治療してくださることです。大原先生をはじめ、医院の皆様が症状を改善しようとしてくださるので素晴らしいなと思うと同時に、非常にありがたく感じています。

きっかけはマウスガードの作成でしたが、いまでは私のかかりつけ医院となっています。

また、マウスガードについても要望を細かいところまで聞いていただき、作成いただいています。

噛んだ時の厚みやフィット感について要望させていただくのですが、可能な限り要望を叶えてくださいます。そういった細かい要素のひとつひとつが競技のパフォーマンスアップにつながっていると思っています。

今後も加藤選手やマウスガードについてご紹介いたしますので、

ご興味がある方は医院ブログをチェックしてみてくださいね!

医療法人社団育友会 下高井戸パール歯科クリニック・世田谷

院長 大原庸子